2015年09月13日

〜 記憶 〜

みなさん こんにちは

今日は、癒しのご紹介ではなく、私事なのですが、少しお話をさせていただきたいと思います。
。。。本当に!今日は癒されない話になるかと思うので、皆さま。。。それに付き合わせるかとは思いますが、どうぞ最後までお付き合いください

いやいや ではでは、
現在私は、、、もう30代半ばを過ぎ、今や刻々とアラフォーへと向かいつつある所存でございます。
20代、30代と、なかなか楽しい人生を歩んできたなと思いますが。。。

そんな私も、だいぶん昔に遡り...6歳くらいの時でしょうか。 その頃の私はあまり楽しい生活を送っていたとは言えないものでした。

普段こうして生活をしている中で、 ふとした拍子に自分の過去の、、、トラウマとなっている部分の記憶が突然蘇ることがありますし、その頃の自分の感情に戻ってしまい、立ち往生することが今でも度々あるのです。

私は小学生の頃、とても辛い虐めにあっていました。
それは小学1年生〜中学2年生まで続いていたでしょうか。 中学3年生になる頃にはようやく落ち着いたのですが  ( きっと皆が受験勉強などで忙しくなったということもあるかもしれませんけれど。) やっと一息つけるようになったのは自分が14歳になった頃でした。

今 思うとまぁ、、、8年間もよく。。。虐めに耐えていたなぁ…と思います。
その時のことを振り返ってみると、未だに恐怖心が湧いてくることがありますし、突然気分が悪くなることもあります。
。。。今現在の歳になっていてもです。

虐めを受けるきっかけとなったのは、小学1年生の1学期でした。 同じクラスのある女の子が皆から無視され仲間外れにされていたことに始まりました。
私はその子のことを嫌いだったわけではないので、普通に話しかけていましたし、一緒に下校もしていました。
 しかしそれを見ていた当時の虐めのリーダー格だった女の子が。 『ねぇ!どうしてあの子と話してるの?皆で無視するんだよ!』 と。
私の態度が気に入らなかったようで。 それを境に今度は私が虐めの対象となっていきました。

朝学校へ登校すると、まず私の机がなくなっていることがよくありました。 もちろん上履きも、体操服や文房具、色んな物が隠されたり捨てられたり、必要な時にはそれを使うことが出来ずに、困ることも多々ありました。
給食時間になると、私の給食の中にはゴミが入っていたり。当然のことのように後片付けやその日の当番、それは毎日私の役目だと回ってきました。
お友達の物がなくなった時や、クラス会の劇などで必要な道具を忘れた子がいたら、全ては私のせいにされましたし、
休み時間に、教室の3階の窓から次の授業に必要な教科書や道具を外へと投げ落とされたこともありました。
中庭の池の中にもペンやノートが捨てられていましたし。 とにかく皆が陰湿であったなと思います。

学年が上がり成長するとともに、虐めはどんどんエスカレートしていきました。
それでも私は、虐めを理由に学校を休んだことなど一度もありませんでしたし、皆の前では一度も涙を見せることはありませんでした。

泣くということは、自分が負けを認めるということだと思っていたからです。そして自分が虐められているということを自覚することにつながると思っていたからです。
その当時の私は、どんなに辛いことがあっても決して自分が虐めにあっているなどと思ったことは一度もありませんでした。
寧ろ、戦い続けていると思っていましたから。 自分は負けてなんかいないと。。。虐められてなんかない!と思っていましたので。

私がほんとうに、自分が虐めにあっていたなと自覚したのは、もっと後のこと。 少し大人になってきてからのことです。。

当時の私は家庭の事情もあり、両親と共に生活しておらず、祖父母に育てられていたこともあって、『今ね学校で虐めにあってるの...』 などとはとても言える状況ではありませんでした。 祖父母には心配をかけるわけにいきませんでしたし、そこから両親のほうへと話がいくことも絶対に嫌なことでしたから。

 小学3年生になり。。。いつしか涙を見せなかった私は、クラスの男の子達からも 『こいつ何をしても泣かないぞ!』 と虐めを受けるようになりました。
...力の加減が分からない小学生の男の子達というものは、本当に残酷なことをするものでした。

私はよくコンクリートの階段の上から、足を引っ掛けられて転げ落ちていましたし、サッカーのゴール代わりだ!と、 顔にボールを蹴りつけられることもありました。 どこから持ってきたのか分厚い電話帳を3冊も担いだ男の子が、横からその本で私の顔を殴り、教室で自分の身体が吹き飛んだこともありました。

 小学6年生の頃、クラスで放課後会議というのが毎日行われていました。会議ではクラスの問題点が持ちあげられるのですが、ある時から毎日のように議題に上がるのは私に関することでした。
その内容というのは。。。 例えばある生徒が、『今日は○○さんに、あの人汚い!と言われました。問題です!』 だとか、『今日は○○さんが給食の後片付けをしませんでした。問題です!』 というものでした。
。。。その問題の対象となるのはいつだって私です。
もちろん給食当番でもありませんでしたし、やってなくて当然のことなのですが誰もが私を責めるのです。
もちろん 『あの人汚い!』 などとも言っていません。
クラスの皆はというと、、、次に自分が虐めの対象になるわけにはいきませんから、 その虚言を否定する人は誰もいませんでした。
クラスには私を救ってくれる人は誰もいませんでした。
クラスの担任の先生までも、私を助けようとはしてくれませんでした。 もしかすると面倒な虐めには関わりたくなかったのかもしれません。

会議では、先生すら私の意見は聞いてくれませんでした。そして最後にはいつも、私はクラスの前に出て 『みなさん申し訳ありませんでした!』 と、謝罪するしかありませんでした。

,,,今のこのご時世... 学校の先生が保護者から叩き上げられてしまうこの時代からすると、とっても考えられない話ですよね。

ある日、私のお弁当箱がグラウンドの砂場の中から見つかって、その汚れきったお弁当箱を抱えて家に帰った日のことです。
何のやる気も出ず、ランドセルとプールバックをほったらかしにしたまま、家でゴロゴロとしていました。
どうしたの?とあきれた祖母がプールバックの中身を見てビックリしていました。 なんとバックの中には煙草の吸殻が何本も入っていたのです。
驚いた祖母はすぐに母親に知らせたようでした。 そしてまた母もそのことについて、学校へと連絡を入れたようでした。
そんなわけで私は、誰が入れたのかもわからない煙草の吸殻で先生に呼び出されることになったのです。

その話は、いつしかクラスの男子にも広がっていったようでした。誰が話したのでしょう?未だに分かりませんが。
それがきっかけで私は、クラスで悪いことをしている生徒というふうになりました。

 小学6年生の3学期に、 担任があることをはじめました。
それは、家にある空き瓶のふたを (王冠のことですね。) それを家から皆でかき集めてきて、クラス内で悪いことをした人達に渡すカードとして使おう!と言いだしたのです。 
そしてそれはクラスの係。。。保健係ですとか飼育係、生活係とか。そういった係に王冠が20個づつ配られました。
各係において悪いことをした人は、その悪事について1枚。。。といった感じで王冠を受け取り、それを1週間のうちに7枚以上受け取った人は、罰として朝の7時半から学校へ出てきて教室の掃除をする! というものでした。

。。。そんなルールが始まった次の日のことです。  私が朝学校に登校すると、私の机の中には...ノートが1冊も入らないどころか、引出は勝手に開けられて、そこに溢れかえるほどの王冠が詰め込まれていたのです。
机の横に引っ掛けていた体操着の袋の中や、書道具の中にまで、王冠が山のように詰まっていました。

私はそんな自分の机を見て驚きました。。。けれども悔しかったので絶対に泣いたりはしませんでした。
こんなことで泣いてなるものか!と
そんな私を見て、クラスの子達が言うのです。 『3学期中、学校の卒業式の日まで、毎朝学校に来て1人で教室の掃除をしろ!』と。

私はどういう理由でこんなに沢山の王冠を受け取っているのか、、、全く理解ができませんでした。
なぜ私なのか。どうしてこんなものをこんなに沢山入れられているのか。 
私は、担任の先生に相談しました。  まともに受け合ってはくれませんでした。 それでも何度も先生に訴えました。
するとその後、 私は担任の先生と共に校長室に呼ばれたのです。
そして校長先生の前で、 担任は私にこう言うのです。 『あなたは悪くありませんよ。なんにも悪いことはしていません。しかし...学校を転校してみてはどうでしょうか?』 と。

。。。どうして私が転校しなくてはいけないのでしょう。 それも6年生の3学期に。 あと少しで卒業式です。
転校でもして知らないお友だちの中に入りその学校の卒業式に参加すれば良かったのでしょうか。
、、、 どちらにしても地区的に、 私は皆と同じ中学校へ上がるのです。
学校の先生の、虐めへの対処法はそれで良いものなのでしょうか? 転校さえしてくれれば、学校での虐めの問題は解決するという考えなのでしょうか?

 小学生の時、私は算数が得意分野でした。テストにしても、だいたい良い点数をキープしていましたし、それを見て自分自身とても満足していたのでよく覚えています。
そして6年生の時の担任の先生は、算数をメインとする教師でした。 けれども虐めにあっていた私は、あまり担任の先生からは良くは思われていないようでした。

なんとか転校することもなく、虐めが続きながらも3学期を終えることが出来て、小学校生活最後に受け取った通知表。
...私はそれを見て愕然としました。
私の成績表には、なぜか得意としていたはずの算数の科目に、成績評価 1 を付けられていたのです。
別に授業中の態度が悪かったという覚えもありません。

...どうしてこんな...
...こんなに悲しいことはないなと、 小学校生活、最後の最後に私は涙が出ました。

得意としていたものさえ認めらてもらえない。  先生さえも、誰も私を見て評価してくれる人はいないのです。
もちろん私の両親や祖父母が。。。成績表を確認したかは分かりませんが、私が算数が得意だったということを知っている人は誰もいません。

そしてそれからの私は、勉強に関しての一切のやる気を無くしました。
中学生に入ってからはスポーツに打ち込みましたが、結局そこでも先輩たちからの虐めや、呼び出しを受けたり。 今日はどんなことで呼び出されるのかとそればかりを考えていて頭は働きませんでした。

中学生に入ってから、、、男の子の力が増していることに気づき、私は虐められるということにとても恐怖を覚えました。
髪の毛を引っ張られようものなら、何本かまとめて抜け落ちたものでしたし、ボールを投げつけられるということは、骨折などに繋がることだと思いました。
 実際に小学生の時にサッカーボールを顔に当てられて、私の鼻は少し曲がってしまっていたからです。

そうして私は少しづつ、自分の影を薄くしていくことにしました。
わけが分からない事にも 『ごめんなさい』 と謝っておくことにしました。
 実力テストが始まった時に、私の筆箱の中の消しゴムが無くなっていることに気がつきました。 テスト中に斜め前の男子が私の消しゴムを小さくちぎりながら投げつけてきました。
それでも私は何も言わずにその小さくちぎられた自分の消しゴムを拾ってテストを受けました。
中学2年生での修学旅行などは、全く楽しくないものでした。

そうして中学3年生。ようやく穏やかな。 特に何もないと言いますか。。。注目されることのない生活を送ることが出来るようになりました。


私にとって虐められていた期間はとっても長いものでしたけれど、、、
私はその虐めによって、未だに人とは表面上でしか賑やかにはできませんし、 そんなに簡単には人に馴れることが出来なくなってしまいました。
男子というものとの付き合い方がよく分かりませんし。 いつだって人がどのように自分を見ているのかを気にするようにもなりました。
...こう思われていたら嫌だなと考えると、物事をスムーズに行うことが出来ませんし、それゆえ自分の中での判断を下すのも遅れてしまいがちになり、行動がワンテンポずつ遅れてってしまうようになったのです。

今の私は、地元を遠く離れた場所で生活していますけれど。 地元に帰ってその頃の同級生に会うことはとても怖いことですし、出来ることなら会いたくはありません。
今の私が、その時の私に戻って挙動不審を起こしてしまうからです。
まぁ...でも今では実家も引っ越しをしましたし、地元に帰ったとしてもなかなかばったりと同級生に会うようなことはありませんけれど。

人生を歩んでいくうえで、、、その時のことが原因で今でもこうである。 なんて、、、本当はとても言いたくはないことですし、人は努力次第で変わっていけるのだから!と、そう思うこともあります。

けれども、どうしても拭えないものがトラウマとしてあるのです。  ふとした拍子に感じる気持ちや行動や言動が、...ああ、今あの時のことが原因でこうなっているなと、、、感じることがあるのです。

私は、高校生になって、だいぶ自分と同じ小・中学校だった子が少なくなり、その頃の私を知る人が少なくなってきた頃、ようやくまた自分らしく振舞えるようになりました。
そしてだいぶ落ち着いた頃、私は自分の心に誓ったのです。
この先の私の未来は必ず! 幸せなものにしてやるぞ。 と

歳をとり、なんとか今ではそんな自分のことをよく分析し、よくわかっているつもりなので、若い時よりは幾分社会においても適応できるようになりましたし、自分の駄目だなと思う部分を認めることが出来るようにもなりました。

あの頃のことや、あの時執拗に私を虐めてきた人達のことを考えるてみると、、、どうして虐めの対象が私でなければいけなかったのかとか、。。。どうして、あの子になら何をしてもいいんだ!と、雑な存在に扱われていたのか。とか、やっぱり私にも虐められてしまう原因があったのではないか?とか色々と考えてしまいます。
しかし言い訳をすれば、、、まだまだ小学生だった私にとって...自分のここが虐められる原因のようだからそこを直さなければならないだとか。。。到底そんなふうには考えられるはずもなかったことで。
ただただ今は、仕方がなかったんだなと思うことしかできません。

虐めた側の人は、自分がこんなことをしたんだ!と言う自覚はあるものなのでしょうか?
私の側からはそれは分からないことですが、その人たちに私は、謝って欲しいだとかそういうことは思っていません。
けれども、 自分が過去に、人に対してとても酷いことをしたな。という事実だけは忘れないでいて欲しいなと思います。

中学生になって、何度か自殺を考えたこともありました。
今日はもう学校へは行かずに車の前に飛び出してしまおう。 交通事故にでもあえばこれで全てを終わりにすることが出来る。と
...そんな自殺などする勇気はありませんでしたけれど。 そう思って家を出ていたことが何度かありました。

しかし私は今、こうやって生きている。そしてそれは本当に良かったなと思います。
その後に出会えた友達や、愛する人たちや、今そばにいてくれるかけがえのない子供たちに出会うことができたからです。

この子たちが、もし私と同じような虐めにあってしまったらどうしよう。などと考えることもありますが。
私が経験したからこそ言えますが、親が下手に学校生活のことに口を出すべきではないと思いますし。その場を見ているわけではありませんから、子供同士のことですから、やはりそこは先生方にしっかりと平等に、子供達を見て対処してもらいたいところだと思います。

最近は、自分の子は悪くありませんから!と親が顔を出すことも増えきているようですが、、、そしてまたそんな親を見て 『あの親の子だからね...』だとか、『あの親にしてあの子あり』 だとか。他の親が口を出す。
私は、出来るだけそういった話を聞きたくはありませんし、そう言われたくもありません。

確かに、小さいうちは親からの影響が子供にいくことはありますが、学校へ通い、親と別行動をしている子供達はそこでの社会に身を置いているわけで、その子の個性、環境から得られるもの、 そういったものでだいぶ一人の人間として育っているわけです。
だからこそ、あの親の子だとか、、、それで一括りになるのはとても子供が不憫に思えてならないのです。

私自身だって、あの親の子。。。と言われると、母とは全く違うのに。。。と絶対に一緒にはされたくありませんし。

とにかく私は、我が子にはまっすぐ素直に優しい気持ちであれるように、精一杯愛情を注いで正しい道へと導いてあげたいと思います。

私はこのブログを通して、癒しの品をご紹介させていただいておりますが。 まず根本的なところから言えば、、、今までのことにおいても、自分のトラウマについても...少しでも自分自身を癒してあげたいと、ただただ...
ただただ心からそう思っているんです。

人には、どんなに忙しい生活の中でも癒しの時間というのはとても大切なもので、とっても必要な時間だと思います。


とてつもなく長い文章となってしまいましたが、これからも私なりの癒しの空間を作っていければと思いますので、これからも皆さんどうぞ宜しくお願いします。

いつも読んでくださってありがとう。
私のブログに耳を傾けて下さってありがとう。 心から感謝します。

pikake ディフューザー 

pikakeのディフューザー 購入しました。 とっても素敵な香りに包まれて、私はとても幸せです。




posted by ロンチャ.リlaxing at 00:00| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

自己紹介

初めまして
ロンチャ.リlaxing です

日々の生活の中で暖かい光や緑に包まれながら好きなものに囲まれて生きていたいですね。
生きていくうえでの癒やしはとっても必要だと思います。

日々の生活の中で出会えた癒やしの品々を私からの目線でご紹介させていただきたいと思います。
皆さんよろしければ少しのお時間だけ私におつき合いください(○´∀`○)
Ej0SFUPupTO2pm5RI74vREoOQDJ6DgzAsYQkFOIbqBg3Ds0-d
posted by ロンチャ.リlaxing at 11:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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